ある夏の日、イタカ王オデュッセウスは避暑の為という口実で、偏屈な友人・アキレスの所を尋ねていた。 ギラギラと太陽が照りつける夏の午後。小さな崖の一見廃墟のような跡がある場所で、オデュッセウスは傘でつくった日陰の下で、心地良い海風にうとうとしていた。どこからともなく流れてくる鳥の声が一層彼を夢の世界へと導く。 「オデュッセウス!起きているんだろう?」 きまぐれな友人の一声でオデュッセウスは夢の世界から引き戻された。 「・・・ここでは客人に昼寝の時間も与えてくれないのか?」 少々不機嫌な声でアキレスの顔を見上げる。 「何を言ってる。自分が今どこに居るのか知ってるのか?軍師殿。」 にやり、と太陽の様な笑みを浮かべるアキレス。ギリシャ中の女性が見たら嬉しい悲鳴を上げるであろう微笑みだ。 もっとも、彼のこんな笑みを見る事の出来る人はごく限られているのだけれど。 「俺の家では俺が主だ。例え王といえども俺に従ってもらうぞ。」 「・・・別にお前の家でなくたって、お前は十分ワガママ・・・」 「あー、うるさいうるさい。ちょっと頭がいいヤツは何かと理屈っぽくて困る。」 やれやれ、と両手を軽く上げてアキレスが首を振る。その仕草に苦笑いを浮かべるオデュッセウス。 「いいからちょっと来い。」 そう言うとアキレスはオデュッセウスの腕を取ると、なかば引きずる様に階段を下りていった。一国の王と一介の戦士 とは思えない光景である。 すっかり眠気を無くしたオデュッセウスは、この傍若無人な親友が何をしようと企んでいるのか思案を巡らせた。 石造りの階段を降り、二人は砂浜へと向かう。崖のそばの日陰になっている辺りへ来ると、アキレスはその腕を放し、懐から小さくて白い貝殻を見せた。 「こういう貝がここら辺に落ちているはずなんだ。集めてくれないか?」 「これは、お前も持っていなかったか?」 その貝殻をつまんで手の上で転がすオデュッセウス。 「ああ。母が好きなんだ。この白い貝殻。この首飾りも母が作ってくれた。」 そう言って首飾りをつまんでみせる。 「また何か作りたいと言っていたから、集めるのを手伝ってくれないか?」 「そういう事なら喜んで。」 母親想いの友人の、ごくごく普通な頼みごとにアキレスは首を縦に振る。 こうしてオデュッセウスとアキレスは海に入り水底に潜んでいる貝を探し始めた。 夏の熱い空気と、海の冷たい水とを同時に肌で感じながら、2人はしばらく黙々と手を動かす。岩や海草をどかし、ゆらゆらと蜃気楼のような海の底に目を凝らす。白い岩の多い一帯で白い貝殻をみつけるのは中々困難な事だとオデュッセウスは思った。 それでも一時間ほど経つと、片手では持ちきれないほどの貝を探し当てる事が出来た。 「結構集まったじゃないか。さすが目ざといな。」 いつのまにか側に来ていたアキレスがひょいとその手を覗き込む。その彼の手にもたくさんの貝が握られていた。 「これだけあれば足りるかな?」 「ああ、十分だろう。」 拾った貝を浜辺に置くと、オデュッセウスは何を思ったのか再びざぶざぶと海の中へ戻っていった。 「?」 訝しげに親友の方を振り向くと、丁度太陽の光が目に差し込んでくる。手をかざして影をつくると、視界の間にオデュッセウスの姿が映った。両手で水をすくうと頭からかけている。 「・・・・・」 水の雫が珠となり、夏の陽を受けてキラキラと輝きながら肌や髪を伝う。 濡れそぼった髪の毛を無造作にかき上げると光る雫が弾けて飛んだ。 気持ち良さそうに目を細めながら笑うオデュッセウス。 その光景にアキレスは瞬きを忘れる程に見とれていた。 ほんの僅かな時間が、とても長く感じられる程に。 「・・・不意打ちは卑怯だぞ、オデュッセウス。」 ぽつり、と漏らす。 「やっぱり夏は海だな。冷たくて気持ちいいぞ。」 友人の視線に気づいたのか、海水に濡れたアキレスがこちらを振り向いて呼びかけた。 するとアキレスはいきなり走り出し、そのままオデュッセウスにとびかかる。 「うわ!」 大きな水しぶきをあげながら2人は海の中に倒れこんだ。ぶくぶくとあたりに白く細かな泡が立つ。やがてその水面からまずアキレスが、次いでオデュッセウスが顔を出した。 元々この一帯は浅瀬で、座った状態でも顔が出せるほどの深さしかなかったのだ。 どうやらオデュッセウスの上にアキレスが乗っかっている様な状態である。イタズラが成功して喜びの表情を浮かべるアキレスとまだ驚き顔のオデュッセウス。親友のその表情にギリシャ一の戦士は満足そうに微笑んだ。 「・・・重いぞ、アキレス。」 「海の中だ、そんなに重くは無いはずだ。」 そう言うと手に水をすくって目の前の顔にばしゃっとかける。 「やったな・・・そら!」 オデュッセウスはぐいっとアキレスの首を引き寄せると水の中まで引きずり、その隙に体制を立て直すと逆にアキレスの上にのしかかった。 「形勢逆転だ」 にやりと笑う。 見上げた位置に、そして普段よりも近い場所にあるその顔に、アキレスは満足げに笑みを浮かべた。 その顔を、体を伝う雫も悪くない。 「誰を相手にしてると思ってる?ギリシャ一の戦士だぞ!」 そう言ってアキレスは再びオデュッセウスの腕を掴むと海中へ引きずりこんだ。 しばらくの間、真夏の浜辺に派手な水音が響いていた。 END |