あの傷 この傷 今日の君


  裂け谷を出発した旅の仲間たちは、その道のりの途中、何度か山の中で野宿をしました。
 ある日一行はきれいな小川がある場所を見つけ、そこで一晩を明かす事になったのです。

 夕食を終え、夜営するのに十分な薪を集めて一息つくと、ホビット達が水浴びをしよう、と提案し(とは言っても、主にメリーとピピンの提案ですが)、それが採用となって、きゃっきゃと笑いながら支度し始めました。
 みんなのいる場所から目の届く距離で、ホビット達は岩陰で服を脱ぐ(正確には脱ぎ散かすと言った方がいいでしょう)と、川に入って行きます。頭まですっぽり水につかったり、水をかけあったり、その様子はとても気持ち良さそうで、楽しそうでした。いつもは表情を崩さないフロドまでもがこの時ばかりは笑顔を浮かべていたのです。
 その笑顔に一番安心したのはガンダルフでした。火にあたり、何食わぬ顔でパイプ草をふかしていても、横目でちらりとその様子を見て、満足そうにふうっと煙をはきだしました。
「これ、ホビット諸君、楽しいのはわかるが、夜に長い事水に浸かっていると風邪をひいてしまう。そろそろあがった方がいい。」
 ガンダルフの言葉に「はーい。」と素直に従い、ホビットは川から上がってきました。そして素早く服を身に着けると、焚き火の側によってきます。水に濡れた髪や体が夜風にさらされ、急に冷えてきたのでした。

「大丈夫か?体が温まるまでこれをはおってるといい。」
 焚き火に集まるホビット達に、ボロミアは自分のマントをかけてあげました。そのマントはとても大きく、厚く、保温性のいいもので、彼ら4人を楽に包み込みます。
「でも、ボロミアの旦那、こんな立派なマントが濡れてしまいますよ。」
 サムが心配そうに尋ねます。はは、とボロミアは笑いました。
「いいんだよ、サム。君たちが風邪を引かずに済むんならこんなマントの1枚や2枚、どうってことないさ。」
「それじゃ、借りるね、ボロミアさん。 うわ、これおっきいし、あったかいや。」
 ありがとう、と口々に言うホビット達を見て安心すると、ボロミアは荷物からタオルを取り出し、川の方へ歩いて行きました。
「なんだ、ボロミア、アンタも水浴びか?」
 ガンダルフやギムリとパイプ草をふかしていたアラゴルンが尋ねます。
「ああ、そのつもりだが。あんたもどうだ?(←社交辞令)」
「つきあおう。」

 瞬時にアラゴルンは返事をしました。いそいそと拭くものを用意します。そうして彼が川辺に着いたとき、ボロミアは既に水に浸かっていました。アラゴルンは少し緊張したように服を脱ぎ、川へ入っていきます。本当は水浴びなんてしなくても全然かまわないのですけど。
「ふう。少し冷たいが気持ち良いな。」
 ボロミアが顔を洗って、気持ち良さそうに髪をかきあげると白い首筋があらわになり、そこを透明な滴がいく筋も伝います。普段鎖かたびらやら厚手の服やらを身に着けているせいでしょうか、ボロミアの姿はいつもより細く、がっちりとしているように見えます。さすが若い頃から戦場に赴いてるだけあって、彼の筋肉はひきしまって無駄がなく、うつくしいかたちをしていました。
 そんな姿を横目でちらりちらりと見ながらアラゴルンは体を洗っています。思い切って「背中を拭いてやろうか」と言い出そうとした瞬間、

「わー、ボロミア、あなたは良い身体をしているね。」
 ひょっこりとレゴラスがやって来たのです。
「レゴラス。いや、私などそんな。」
 くるりとボロミアはレゴラスの方を向きました。馳夫さんのタオルを持つ手が虚しく空を泳ぎ、言いかけた言葉は喉の奥へ帰ってゆきます。
「いや、本当だよ。少なくともアラゴルンの貧相でかすかに臭う体に比べたら。」
「なっ!」
 すごい形相のアラゴルンをさわやかに無視して、レゴラスは続けます。
「それに、よく見たら、あちこちに傷があるじゃないか。これは?」
「何なに?ボロミアさんがどうしたの?」
 いつのまにかマントをかぶったまま、ホビット達がやって来ました。
「うわー、ボロミアさんも馳夫さんも何かかっこいいー。」
「やっぱりオラたちとはえらい違いですね。」
「闘う男ってかんじだね。」
「え、あ、あの、そんな・・・」
 沐浴中にいきなりギャラリーが増え、ボロミアは少し恥ずかしくなり、困った顔でアラゴルンの方を見ました。
「・・・何やら見世物になった気分だな。まあ、仕方あるまい。」
 苦笑を浮かべてアラゴルンは言いました。
たくましく、うつくしい身体(しかも裸)をした2人の伊達男が並ぶと(しかも水辺)、同性から見てもほれぼれする位サマになっているのです。
「ボロミアさん、体のあちこちに傷があるけど、それは・・・」
 眉をひそめてフロドが尋ねます。
「ああ、これか・・・」
 そう言われてボロミアは自分の体をあちこち眺めます。そう言われると、傷あとが多いのだろう、と思いました。ゴンドールにいた頃は自分も兵たちも、もちろんファラミアも体のあちこちが傷だらけで、それを当たり前のように思っていたからです。
「これ・・は戦いでついた傷だな。中には稽古中につくったものもあるが。」
「痛く、ないの?」
「今は痛くないよ。むしろ、この傷を誇らしいとさえ思えるかな。」
「名誉の負傷ってヤツだね。前も後ろも、深いのもあれば、長いのもあるし・・あ、これなんか矢の跡じゃないか。こっちは・・ああ、毒の刃にやられたね?」
 レゴラスがその傷を見て、様子を事細かに読み上げると、ホビットたちはひゃあ、と耳をふさぐ真似をします。
「ああ、もー、レゴラスさん、そんなおっかない事口にしないでくださいよ。」
「でも、ボロミアさん、そんなにたくさん傷つくってよく生きてこれましたね。って、こりゃ失礼。でもいつ頃から戦ってたんですか?」
 興味津々でメリーが尋ねます。
「そうだなあ。10代の頃から戦に参加していた・・。でも中にはこれまでかと思った時もあったよ。本当によく生きていられたものだ。特にこの毒を受けた時はね。今思い出しても身がすくむ。」
 そう言って体をぶるっと震わせます。ホビットたちはしばらくその無数の傷を眺めていましたが、ガンダルフに「風邪をひきたいのか!?」言われ、ぱたぱたと焚き火の方へ戻って行きました。

「・・・この傷がそんなに珍しいかな?」
 腕にある傷跡をさすりながら、レゴラスに尋ねます。レゴラスはにっこり笑って答えました。
「珍しい、というよりはすごいって思われたんじゃないかな。これだけの傷を負うくらいあなたは戦いを重ねてきたんでしょう?一国の、地位ある人であるあなたが。本や何かでは偉い人は上から命令をくだすだけだもの。正直私も驚いたよ。」
 そう言うとレゴラスはざぶざぶと川の中へ入って行き、無邪気に平然と傷跡を触っていきます。
「あ、わっ・・レ、レゴラス・・?」
 少し恥ずかしそうなボロミアと、彼に見えないようにものすごい形相でレゴラスを睨みつけているアラゴルン。しかし、そんなものはどこ吹く風でレゴラスは言いました。
「あなたの言うとおり、これは誇るべきものだよ。この傷の数だけ、あなたは強くなったんだろうし、またこの数以上に敵を倒してきたんでしょう?国の為に。こういう言い方は変かもしれないけど、似合っているよ。あなたの体に、この傷は。この傷もすべてひっくるめて、今のあなたという人がいるんだね。」
 尊いなにかを見るようなまなざしでレゴラスはボロミアを見ていました。ボロミアの方は目をまんまるに見開いています。
「その様に言われたのは初めてだが、嬉しいな。その、特に他の種族に言われると。」
 自分を含めて、「人間」という種族が誉められているようで誇らしい気持ちになるのでした。レゴラスの様な高貴なエルフになら尚更です。思わず笑みがこぼれました。
 その後ろではアラゴルンが唇を噛んでいます。さしずめ、オイシイ所を持っていかれた、これはアラボロじゃなかったのか!?といったところでしょうか。

 そんな様子を見て満足したのでしょう、レゴラスは「風邪をひかないうちに上がるんだよ。・・まあ、あなたは大丈夫だろうけど。」と、最後の方はアラゴルンを見ながら言うと、皆の所へ戻っていきました。
「このクソエルフ・・・」
ボロミアには聞こえないように小さく毒づくと、アラゴルンはばしゃばしゃと顔を洗いました。そしてボロミアの方を見ます。彼の体にある無数の傷を見ます。胸のあたりがちくり、と痛みました。
「エルフというのは、我々とは少し違ったものの見方をするんだな。それとも、レゴラスが特別なのだろうか?」
「・・そうだろうな。彼は他のエルフ達とは違って、人と接する機会があったから。」
「そうか・・・・なんだ、アラゴルン。あんたの体も傷だらけではないか。暗がりで気がつかなかったが。」
 うっすらとした月明かりに照らされたアラゴルンの体には無数の傷があったのです。
「いや、こんな傷、あんたに比べたら・・・」

 あんたは、からだだけではなく、こころにも、傷を負っているのだろう?国を想い、民を想い、部下を想い、弟や父や母を想って。この旅の間も、休んでいる時さえも、あんたは遥か故郷を、そこに住まう人々の事を案じながらこころを痛め続けているのだろう?あんたはやさしい人だから。やさしすぎる人だから。 私なら、私ならその痛みを取り除ける事が出来るのだろうが、今の、私は。私には・・・

「アラゴルン?どうした?」
 自分を見ているようで、どこか遠くを見ているようなアラゴルンは、どこかはかなげに見えました。
「あ、いや・・何でもない。」

 いっそ、嫌ってくれればいいのに。私を憎んでくれればいいのに。そうすれば、少しは心が軽くなるのだろうか。
 あんたも、私も。

「アラゴルン・・。その、裂け谷での会議の時は、失礼な事を言った。申し訳ない。」
「・・? 何で今その事を。」
「いいんだ、聞いて欲しい。その、きっとあんたにも色々事情があるのだろう?私なんかには測り知れないような。ただでも今はこんな状況だ。今はあの指輪を葬る事だけを、考えよう。私もそのつもりだし、その・・諸々のことはそれが済んだ後でも遅くはないはずだ。」
 ゆっくりと、言葉を選びながらボロミアは話します。ふう っとアラゴルンは大きく息をはきました。
「・・やさしさが身にしみる、というのはこういう事なんだろうな。・・ボロミア。もう少し、時間をくれないか。時がくれば、必ず答えを出すから・・・」
 弱々しい笑顔を浮かべます。この人がこんな顔をするなんて、ボロミアは少し悲しく思いました。 でも、いずれは話さなければいけない事なのです。
「・・・あまり気にやまないように。さ、この話はここまでにしよう。長い事ここにいると我々とて風邪を引いてしまう。」
 そう明るく言うと、ボロミアは急いで体を洗います。アラゴルンはボロミアに近づくと、その肩にとすん、と顔をのせました。ボロミアは驚いて横を見ます。髪が垂れているので、彼の表情はよく見えませんでした。アラゴルンの顔が当たっている所からほんのりとぬくもりが伝わってきます。
 アラゴルンはボロミアの腕の傷に触れました。

いつか、あんたのこの傷が報われるその日が来ますように。

「少しだけ、こうしてていいかな?」
「・・・ああ、かまわない。」

 さらさらと小川の流れる音が、澄んだ夜の闇に吸い込まれていきました。


 ―――翌日

「ふ、ふぁ、―――っクしょい!!」
「っクしょ!!は、はっクシュうぃ!」

 一行から少し距離をおいて、大の大人が2人、(豪快な)クシャミをしながら、鼻をぐずぐずさせて歩いてきます。
「人間ってヤツは案外軟弱なんだな。たかが行水で風邪をひくなんて。」
 ギムリが2人を眺めつつ呟きます。
「よいか、人(特に年長者)の話をきかんとああなるんじゃ。わかったか?」
「はーい×4」
「お前らはそれが治るまで離れて歩け。他の者に伝染ったらそれこそ大ごとだ。まったく、この旅の重大さを・・・云々」
 ガンダルフの説教が続きます。
「まったく、あなたまで一緒に風邪ひく事なかったのに。大丈夫?ボロミア。熱はない?」
 風邪が伝染る事のないレゴラスが2人の側を歩いて心配そうに尋ねます。
「熱は無いが、まこと面目ない・・。」
「いや、これは私の責任だ・・・あ、あっクシュぅ!」
 夕べ、少し長く水に浸かりすぎたのでしょう。翌朝、2人は仲良くそろって風邪をひいてしまいました。しかし、気のせいでしょうか、昨夜よりは幾分表情が晴れやかとしています。そんな2人を気遣うように、今日は晴れた青空が広がっていました。
 レゴラスが先頭の方に戻り、2人は肩を並べながら歩きます。アラゴルンが思い出したようにククク、と笑いを漏らしました。ボロミアはいぶかしげに彼を見ます。
「いや、すまない。大の大人が2人そろって、夕べは何をしてたんだろうと思ってな。」
「・・・あんたがそれを言うか?」
 頬を少し赤くしてボロミアが言います。
「私は十分楽しんだんだがね。まあ、この風邪は誤算だったが。」
「楽しんだって、・・・キサマ、」
 普段は温厚な彼の顔が険しくなります。
「いやいや、待てよ。本心だ。楽しい、というよりは癒されたというか。ありがとう、感謝してる。でもあんたに風邪をひかせてしまったのは申し訳ない。」
「・・・・」

 どうしてでしょう。アラゴルンにこんな風に真面目に何かを言われると、ボロミアは反抗できず、それを受け入れてしまうのです。

 これも、血、なのだろうか。

 半分諦めたように小さくため息をつくと、背中をぽん、と叩かれました。
「病は気から、という言葉がある。何とか気合でもって乗り切ろうじゃないか。」
「ああ、そうだな。」
 そうして互いに微笑むと、力強い足取りで前へ、進んでいきました。
 おひさまが一行を見守るように、やさしく照っています。
                                                        おしまい




ギャグに徹しきれないワタシ・・・シリアスに徹しきれないワタシ。
 ええと、アラがボロたんの肩に顔をつけてた時、当たってませんので。 (何が?なんて聞かないでください。その質問は却下します)あしからず。ちなみに、アレ以上何もしてませんよ。
 ええと、本当は100%ギャグにしようと思って、丁寧な語り口調(←これだとギャグしやすいですね)にもしたんですが、ダメでした。没。結果、ハンパにギャグで、ハンパにシリアス。だめだ。この2人を並べたらシリアスってしまう・・・せっかく行水ネタを使ったのに。反省だらけの作品ですね。しかもアラボロのはずが、レゴがオイシイところをさらってしまった気も。あ、アラの「身にしみる・・・」というのは、優しさに嬉しい、というのではなく、傷口がしみる、という方の意味です。いや、両方の意味で使ってるかもしれませんね。
   で、今回は珍しくオールキャラにしました。(無理矢理)何とかギムリンにもセリフをつけて。本当は水浴びの後、焚き火に当たってみんなと談笑のはずだったのですが、あのままあんなカンジになってしまいました。そういや最終的にはタイトルと何も関係ないEDになってしまいました。これまた失敗。何だ、今までで一番反省と失敗が多い作品じゃないか!?問題作?  にしても、割り切れてないですな。自分。映画は映画。ファンフィクはファンフィク。なのに話がシリアス方面へ行ってしまいます。こ、今度こそ・・・
 ところで、小説を書いた順番とそれをアップする順番は違っています。これはレゴボロ・『いつかのうたを』の後に書きました。時期は2003年の12月、とある緊張状態の中で・・。この辺りから、だんだんレゴにブラックが入ってきますね。ブラックといってもそうたいしたものでは無く、むしろゴルンとVSってる感じのモノです。・・・書いてて楽しいんですよ。