ゴホッ ゴホゴホ… 苦しそうに咳き込むメリック。不覚にも風邪を引いてしまったのである。 職員で感染症にかかったものは有無を言わず休まされる。大事な『商品』に病気をうつしたら大変なことになるからだ。 メリックも社長ではあるがこのルールにのっとって、ここ何日かは専用の研究室に缶詰めになっていた。・・・もちろん、研究室と言ってもほとんど私室と変わりないので他の職員達の部屋よりはるかに広くて過ごしやすい。毎日検査と薬と安静の日々であるが、毎回女性スタッフが薬と検温に行く役目をくじ引きで決めているとは露ほども知らずにいた。 その日も額に冷却用のシートを貼り付け(熱さまシー●)、メリックは寝るに寝られず、ぼーっと白い天井を見上げていた。 もう一週間ほど寝込んだままだ。何か異常があったら報告する様に言ってはあるが、何もない、という事は今の所特に問題はないのだろう。だが、やはり自らの目で確かめたい事がたくさんある。 最近眠れないと相談しに来た6・デルタはどうしただろうか?トレーニング中脚を痛めた5・ヒロは治っただろうか?そして、リンカーンは何か問題を起こしていないだろうか・・・・? いやいや、何故あの6・エコーの事を思い出してしまうのだろう。ぶんぶんとメリックは首を振る。 いつも何かと問題を起こして迷惑を(主にメリックに)かける6・エコーの事などこんな時くらいは気にかけなければいいのだ。 そう頭では思っているのだが、一度考え始めるとなかなか頭から離れず、思っている事と実際に頭を巡るものが上手くかみ合わず何とももどかしい思いでいたが、やがてそれも熱のせいなのだと思うことにした。 午後の食事と検温が終わり、薬を飲んだ後メリックは再びベッドに横になった。薬のせいもあるのだろう、少しウトウトとしかけた時に、扉が開く音がした。何事かと思い体の向きを変えると、そこに、 「博士っ、大丈夫?」 ブルーの瞳を大きく開き、心配そうな面持ちのリンカーンがそこにいた。 恐らくメリックは4,5秒まばたきもせず目が点になっていた事だろう。ここはメリックの研究室で普段はアポがなければクローンたちは入って来れない。さらに入り口の所には入室をチェックする係がいるので誰かが入る時は連絡が入る。 そのはずなのに。 「・・・リンカーン、どうしてここに?」 「どうしてって、もう一週間も寝込んでるんじゃないか。心配だからお見舞いに来たんだよ。」 「そうじゃなくて、どうしてここに入ってこれたんだ?」 「え・・・その、部屋の前に人がいたから、その人がちょっと席を外した隙にサッと、ね。」 得意げに話すリンカーンと、額に皺を寄せて苦々しい顔をするメリック。 「・・・すぐに帰りなさい。」 「え?」 「見たらわかるだろう?私は病気だ。ここにいるだけで君にも感染ってしまう可能性もある。ここの施設の責任者として、君らを病気にさせるわけにはいかないんだよ。」 普段よりも幾分覇気の無いしゃがれた声でメリックが言った。その後手を口に当て、2,3度咳き込む。リンカーンにとって、それはひどく辛く、苦しいように見えた。そして、そんなメリックを見るのも嫌だと思った。 「・・・最初はちょっと様子を見るだけにしようと思ったけど、この姿を見たらそういうわけにはいかなくなったよ、メリック博士。」 「・・・は?6・エコー、君は自分で何を言ってるかわかっているのか?」 声を荒げるメリック、そして再び咳き込む。リンカーンは床に膝をつくと、メリックの手を握った。メリックはすぐに離そうとしたが、ぎゅっと握られたその手は解かれない。 「!?」 「博士。どうしてだかわからないけど、そんな苦しそうな博士を放っておけないんだ。」 そう言ったリンカーンの瞳には悲しみがたたえられていた。 「・・・君が大人しく戻るのなら、治りも早くなるだろうな。」 「もっと早く治る方法がある。オレにうつせばいい。」 「!!何をバカな事を・・・」 「大丈夫。オレはウィルスなんかに負けないよ。予防注射も打ってるし、毎日運動もしてるから病気になんてかかるわけないさ。それに、博士より若いから抵抗力もあるだろうしね。」 最後の方で軽く笑う。 メリックは言葉が出なかった。なぜリンカーンがこんな事を言うのか。それに対してどう対処していいのか混乱していた。 「博士がいないとつまらないんだ。最初は平気だったけど、段々いないのが気になって、その内本当に治る病気なのか気になって、そしたら、自分の目で確かめたくなって、ここまで来ちゃった。皆も心配してたよ。そりゃあ最初はあの博士が風邪をひくなんて珍しい事もある、とか軽口叩いてた連中も、今じゃそわそわしてるよ。ここの責任者の博士に何かあったら大変だ、とかあの怒鳴り声がないと寂しい、とかってね。」 握られた手が、あたたかい。人の手とはこんなにあたたかいものだったのだろうか。 リンカーンの話を聞きながら、メリックは思った。 「それにね、博士。オレ風邪を治す方法を教えてもらったんだ。薬とかじゃなくって、えっと、何て言ったかな?ミンカンリョーホーとかいうヤツ。だから、それを試させてよ。」 「民間療法?」 「そっ。確かなスジの情報だから信用していいよ!じゃ、やるよ。」 「!!!」 メリックの手を握り締めたまま、リンカーンは顔を寄せ、メリックの唇に自分のそれを重ねた。 それだけではなく、メリックがあっけにとられている間に遠慮無しに舌まで入れてきたのである。 さすがにそれには驚いて慌てて顔を離す。 「り、リンカーン!?な、何を・・・!!??」 顔を真っ赤にしながら今起こったことが夢ではないのかと考えた。が、どう考えても自分はリンカーンにキスされ、しかも舌まで入れられた。よりによって自分が。 「アレ?博士知らないの?こうすれば相手の病気がうつるって聞いたんだけど。」 何の悪びれもなく話すリンカーン。自分のした行為がどんなものなのかわかっていないのだ。純粋にメリックの病気が自分にうつればいいと思ったのである。 「さ、オレの治療は終わったから早く横になって。今夜にでも効くかもしれない。」 そう言ってまだ顔を赤くしながら何をどう言ったらいいのかわからず口をぱくぱくさせているメリックをベッドに横にさせる。 「リンカーン、ひとつ教えてもらいたいのだが、誰が君にこの民間療法を教えた?」 「え、それは、秘密って約束なんだけど。」 「医者としての好奇心から知りたいんだよ、リンカーン。頼む。」 メリック博士に何か頼まれるなんてこれまで無かったリンカーンは、その言葉に胸が躍った。 「マックだよ。知ってる?」 「・・・ああ、マッコードか。知ってるとも。まさかこんな事まで知ってるとは・・・意外だったな。では、リンカーン、早く帰りなさい。」 「わかったよ。じゃあ、博士、早く良くなってね。」 そう言って笑顔で去っていくリンカーン。 メリックはまだ少し頭が混乱している様だった。唇に手を当て、先ほどの事を思い出す。 どうして咎めなかった。禁止されている接触なのに。病気が彼にうつる可能性だってあるのだ。なのに、どうして私は何も言わなかったのか。 いや、違う、言えなかったのだ。恐らく、きっと。 これ以上考えたくなかった。考えてはいけない事を考えようとしている自分が怖かった。それは認めたくない事だから。もし、認めてしまえば、今までしてきた事が水泡に帰してしまう。 ただ、ひとつだけ、認めた事がある。 それは、リンカーンが自分を心配してくれた事が嬉しかったという事だった。 一方、見張りの目をかいくぐり、リンカーンは自分の部屋に戻っていた。ちゃんとマックに教えてもらった通りやってのけたので満足だった。本当にあんな事で風邪がうつってくれるのか少し心配だが、マックは物知りだから信用していいだろう。後は自分がウィルスに負けないようがんばるだけだ。それには自信がある。 それにしても、あのミンカンリョーホーは禁止されている接触だったのに、博士に怒られなかったのが不思議だ。何故だか知らないけれど、博士の顔が妙に赤くなっていたのも気になる。・・・かえって熱をあげてしまったのだろうか? そうして自分の唇に触れてみる。メリックの唇に自分の唇が触れた瞬間の事を思い出した。不思議な気分だった。なんだか少し恥ずかしいけど、あの感触は気持ちよくて、今度は風邪をひいていない時にやってみたいと思うけれど・・・きっと接触は許してくれないんだろうな、と考え直す。 そうしてリンカーンはベッドにゴロンと寝転びながら、いつもと違うメリックの色んな顔と、柔らかい唇の感触を思い出しながら、眠れぬ夜を過ごした。 それから2,3日後、リンカーンの民間療法が効いたかわからないが、メリック博士は見事復帰。休んでいた分を取り返すかのようにキリキリと働いている。 その博士にミンカンリョーホーを施したリンカーンも特に異常は無く毎日を過ごしている。・・・相変わらずメリックにべったりであるが。 一方、その月末、楽しみにしていた給与明細を見て驚愕した男が1人。 なぜだか減給処理をされている給与明細を見て抗議したが、聞き入れられなかったらしい。 妻に何て説明しようかと頭をヒネリながらマックは帰り路をのろのろと車を走らせていた。 END |