娯楽としての殺人
(Murder for pleasure : The Life and Times of the Detective Story)


 これまた学生時代に読んだハワード・ヘイクラフト著『娯楽としての殺人』のまとめです。単純に言うと、ミステリー小説概略史みたいなものです。
 なるほど〜と思える事が色々書かれていました。これでアナタもさらに一歩進んだ『ミステリー好き』になれますよ!(きっと)
 あ、あくまでもここで書かれていることはヘイクラフトの意見・考えですから。

1言葉の整理
○探偵小説・・detective stories(story), detective fiction, detective novel(s)
○ミステリー小説・・mystery story
○犯罪小説・・crime fiction , crime story
○謎・パズル小説・・puzzle story, riddle story
○際物的犯罪小説・・shocker

 探偵小説以前には、謎小説、ミステリー小説、犯罪小説、そして推論と分析を用いる小説はずっと以前から存在していた。探偵小説はそれらすべてに密接に関係している。しかし、探偵小説が誕生したのは近代になってからのことである。

※これについてエラリー・クイーンが、一番初めのミステリー小説は聖書である、とおもしろい意見を言ってますね。騙し、欺き、罪、嘘、犯人、罰、などが出揃ってるという事で。
 イブはヘビにそそのかされ、アダムに嘘をついてリンゴを食べる、という犯罪を犯した為、神から罰せられて楽園を追放された。



2『探偵小説』の定義
 探偵小説の本質的なテーマは、犯罪を専門的に探偵するということである。これが存在理由であり、探偵小説を形作る主要な要素でもあり、また、「従兄弟」である「謎小説」から区別される点でもある。
 明らかに、『探偵(刑事、探偵、両方の意味を持つ)』というものが生まれるまでは、「探偵小説」というものもありえなかったし、実際なかった。そして、探偵というものは19世紀に至るまでは存在しなかったのである。
 探偵小説とは、その飾りや装飾を取り除けば、その根本とはただひとつ、犯人と探偵のとの機知の争いに過ぎない。そしてこの争いは伝統的に探偵が相手の事を考え抜く事によって勝利を収める。その基本的な構造とは、絶対的な論理性から毛ほども離れてはならない。この唯一の簡単な規則の前では、他のすべての規則はささいな、あまり重要でないものにすぎない。すなわち、これが探偵小説なのである。
 逆に、探偵小説でひとつの絶対に許しえない罪は、いかなる点でも、論理的推理にかえて、思わぬ出来事やチャンスや偶然の一致を使う事である。

3探偵小説の歴史
 世界で最初の探偵小説は、エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』である。
 ポーが書いた探偵小説は、『モルグ街の殺人』、『マリー・ロジェの秘密』、そして『盗まれた手紙』の3つである。『黄金虫』と『お前は犯人だ』は、推理の証拠となる事実が読者にかくされているためである。
 ポーはわずか3つの作品で、後の時代の探偵小説のあらゆる型やパターンを一度に確立させてしまった。
 『モルグ街の殺人』は探偵小説の物理的(physical)タイプの実例である。
 『マリー・ロジェの秘密』は、純粋に心理的(mental)な方向をとっている。
 そして『盗まれた手紙』は恐らく、前者ふたつが共に不満足と思えたため、作者の内なる芸術家はこの第3の小説で均衡の取れた(balanced)タイプを求めたと思われる。
※とはいえ、『黄金虫』、『犯人はお前だ』も広い目で見れば推理小説と呼べるものだと思うんですけどね。実際現在ではそう考えられている事の方が多いですし。
 『黄金虫』では暗号解読を扱っています。(ホームズの『踊る人形』も同じ手法によります)
 また、『犯人はお前だ』では後に禁じ手とされる手法をアガサ・クリスティより先にこの人が使っていたのである!!


 また、ポーは探偵小説という名に値するすべてのものに共通な2大概念を初めの小説でうちたてている。それは、

@事件解決は、その性質が極端なものであるほど可能である。
A有名な「推理による断定」。(つまり、もしすべての不可能なことが除去されたのなら、後に残ったものこそ、例えどんなにあり得べからざるような事でも、真実であるにちがいない。ということ)

 この他、卓越した風変わりな探偵。嘆賞にたる、だが少し馬鹿げた為の傷跡。法の公的守護者である警官たちの善意のへまと想像力の欠如。密室というしきたり。疑わしい証拠を指し示す事。意外な解決。その人物が他人の立場になって行う推理。(今で言う心理学)。あまりに目に付きやすい所に秘密のものを隠す方法。犯人をおとしいれる為の探偵が演出した策略。解決後のさりげない、しかし明確な説明。
 などをポーはわずか3つの作品でやってのけたのである。
 ポー以降の重要な探偵小説を書いたのはエミール・ガボリオである、彼は『ルルージュ事件』や『ルコック探偵』を世に残した。ルコックの推理には本当に新しいものは無くいが、そのロジックは優れたものである。
 彼はポーの抽象的な感じを生彩ある装飾や変化で飾った。彼の作品はプロットと探偵事件とを別々のものとして扱っている。プロットについてはまったく物理的なのだが、探偵事件については『マリー・ロジェ』に匹敵するほど精密で心理的である。この不自然な組み合わせの結果は、均衡の取れた、と言うよりはむしろ分裂した探偵小説であると言える。
※このガボリオの作品て未だ読んだことないんです。フランス作家だからなのか、図書館で検索しても著書が見当たらないのですよ…

 ガボリオとほぼ時を同じくしてイギリスでは、ウィルキー・コリンズが『月長石』を書いた。T・Sエリオットはこの作品を『最初の、かつ最上の探偵小説』と賞賛している。
 だが、『月長石』は確かに探偵的な要素が素晴らしく支配的であるが、コリンズはガボリオ同様、真に新しい方式を作り上げるには一歩足りなかった。コリンズがやったこととは、本質的には探偵事件を中心テーマとして精巧な諸要素を組み合わせ、当時のやり方を満載した小説を書いたということである。しかし、『月長石』は叙述と論理的推理との至上の結合であると言える。
※この『月長石』は読んだ事があるのですが、いかんせん長い。
 本筋と関係あるのかしら?という挿話がいくつも出てきて退屈しました。
 元々、推理小説なら長編より短編が好きで、優れたミステリー作家とは優れた短編を書ける人の事である、という説の推奨派です。実際、ポーもドイルも短編の推理小説が有名ですからね。物語のプロットを短くまとめる事ができる、というのは才能のひとつでしょう。


   それからおよそ10年後、コナン・ドイルが世界で最も有名で愛されている探偵、シャーロック・ホームズを世に送り出した。
 ドイルはポー=ガボリオ公式をよみがえらせた。ドイルはホームズ物語において、特に素晴らしいプロットや推理を披露したわけではない。彼は全作品を通じて、ホームズとワトスンという2人の不朽の人物を創造したのである。
※と、ヘイクラフトは言うものの、ホームズ物語の中には巧みなプロットの作品があると思われるんですがね(ホームズファン、というひいき目を抜きにしても)。『6つのナポレオン』とか『赤毛組合』とか。

 ホームズ物の欠点としては犯人が前もって登場した人物ではない、というパターンや、解決は主として探偵が秘密裏に得た情報で、それが最後の方まで読者に伏せられている、というパターンが多々あるということだ。
 ホームズ物語が今なお人々に読み継がれている要素のひとつには「生まれつきのストーリー・テラー」であるドイルが描いた「ロマンティックな現実性」や挿絵、舞台や映画という外的要素も働いている。
 もし、ホームズがこの世に存在していなかったら、今日、私たちが知っているような探偵小説は発達してこなかっただろう。さもなければ、それとはまったく違った、確かにそれほど喜ぶべきではない方向に発展していったといえよう。

 ここまでをまとめていうならば、ポーが用意した『探偵小説』という畑を、ガボリオやコリンズが耕し、ドイルがそこへ見事な花を咲かせた。と言えるだろう。