エオメルと一緒


 さて、「ゆっくり休む」とは言ったものの、ボロミアは何やら手持ち無沙汰になり、ふらふらと兵たちの練習場にやってきた。ここの空気はミナス・ティリスのそれと似ている。今は人がいないけれども、金属の匂いや、身の引き締まるような緊張感や空気がそこかしこに残っている。

「ボロミア殿!」
「やあ、エオメル殿。」
「お1人ですか?」
「ああ、セオドレドは所用があるとか言ってな。そうだ、エオメル殿。もし時間があるなら、剣の相手をしてもらえないだろうか?」
 その言葉にエオメルは目を輝かせる。
「は、ハイ!私の方からお願いしようと思っていました。ぜひ、お願いします。」
 そうして2人は練習場の中央に対峙した。すっ と右足を前に出すと同時に剣の柄に手を掛ける。その顔には先ほどまで浮かんでいた笑顔はもはや無く、鋭く、刺す様な視線を湛えた瞳がエオメルを捉えていた。
 その変貌に驚きつつもエオメルは己の剣に手を掛ける。
 ゴクン ひとつ喉を鳴らしたその時、ボロミアが動いた。
 ガキィッッ 
「っ!」
 瞬く程の間に抜かれた剣を何とか受け止める。たった一太刀なのに両腕に痺れが走った。
 すぐに剣を離すと、ボロミアは幾太刀も続けて打ち込んでいく。人気の無い練習場に剣と剣とがぶつかり合う激しい音がこだました。当の本人たちはその音すら耳に入っていないけれど。

 ―試されている―
 間もなくしてエオメルは察した。これはまだボロミアの本気ではない。自分を試しているのだ。
 エオメルは声を上げながら切り返し、逆にボロミアに向かって斬り込んでいく。

 ―私だってもう成人だ。いつまでも子供のままではない。この人に、本気を出させないと。
 その一撃一撃は剛く、オークが相手ならばその一撃で頭を粉砕し得るものだ。
 だが、ボロミアはその太刀をただ受けている様に見えるが、僅かに足の向きを変え、向かってくる剣の行き先をずらし、その力の勢いを減じさせていた。

 何度目の剣戟だろうか。エオメルの剣が振り下ろされるよりも僅かに速くボロミアの剣が唸った。
 ギィィンッ 
 振りかかった剣を押し返し、そこから生じた瞬くばかりの間に、ボロミアは手首を切り返してその切っ先をエオメルの眼前に突きつける。
 両手を上げたまま、エオメルはまばたきすらできなかった。その切っ先よりも、自分に注がれるオーク達とはまるで比べ物にならない程の威圧感と焼ける様な視線、そして殺気。

 つう とこめかみから流れてきた汗で、ようやくエオメルは口を動かす事ができた。
「ま、参りました。」
 すうっ と剣が下ろされる。しかし視線の束縛はまだ解けていない。まだ、動けない。
 そして、やっとボロミアは視線を外し、剣を鞘に収めた。途端に、それまで呼吸を忘れていたかの様に深い息が肺から吐き出される。

「・・・強くなりましたな。エオメル殿。」
 再びボロミアは笑みを浮かべている。その顔をまじまじと見つめるエオメル。
「・・・貴方は本当に先ほどのボロミア殿ですか?まるで別人だ。・・・自分では強くなったつもりでしたが、貴方には到底適わない。身に沁みました。」 
「いいや、エオメル殿の剣は剛い。だが、少々荒い。まるで、昔の自分を見ているようだった。恐らく、若さゆえ、というのもあるけれど。だが、経験を積めば、どうすればいいか自ずとわかるだろう。セオデン殿もセオドレドも、君を頼りにする日が来るだろうな。」
 そこにバタバタと旗のなびく音が聞こえた。
「少し、散歩しませんか?エオメル殿。」
「は、はい。」

 そうして2人は見張り台へ行く。風に吹かれて2人の髪が陽に照らされながらなびいている。そこからはエドラスとそれを取り囲む平野が広がっているのが見下ろせた。遠くには霞む山々。
 そこに居た衛兵が気を使って姿を消した。
「ボロミア殿、これから中つ国はどうなってしまうのでしょうか?」
 意を決したように口を開く。
「・・・だんだん、物騒な世の中になってきているのが私にもわかります。兵を率いて遠征する数も増えてきた。それに、執政家の世継である貴方が供も連れずたった一人であるかどうかもわからない土地へと旅をするなんて、一体・・・何が起ころうとしているのですか!?」
 しばし瞳を閉じて風を受けているボロミア。  やがてエオメルのほうを振り向いた。
「・・・不安。それが今の貴方に根を下ろそうとしている。エオメル殿。」
「・・・不安。」
「それが剣にも現れている。」
「そう・・・ですね。不安です。今は、あまりにも違いすぎる。昔はもっと平和だったのに・・・いつの間にか馬を駆る時間よりも、剣を握っている方の時間が遥かに多いのです。」
 ぎゅっと拳を握り締める。

 ああ、かのものの影はローハンにまで及んでいるのか・・・・この豪胆な若者にさえも。やはり、このままではいけないのだ。

「エオメル殿、人の上に立つ貴方がそんな風にしてはいけない。」
「・・・ボロミア殿・・」
「確かに、今は昔とは変わってしまった。だが、我らは今よりも幾分平和な時を知っている。」
 輝く太陽、心地良い風、晴れ渡った空、心躍る音楽に歌。人は剣ではなく鍬を持ち、手綱を握り、手に手を取って壁の外へと駆け出していく。鳥を追い、蝶と戯れ、小川のせせらぎに耳を傾け、笑顔を浮かべながら。
 かつて、世界はそうだったのだ。

「我らは平和な時を知っている。だが、知らない者も多くいる。私は彼らに知って欲しい・・・真の平和というものを。エオメル殿、我らは一国を統治する役目を担った家に生まれた者だ。」
 幾分遠まわしなその表現にエオメルは気がつかない。
「私たちは彼らが心から笑える日を取り戻さなければいけないのだ。それが、我々のなすべき事だと、私はそう思っている。・・・・私は誓ったんだよ。幼い頃、母を亡くした時に。私の母は東の空を、日に日に濃くなっていく影を恐れていた。だから私はあの影を永遠に払うのだと、母の前で誓った。」
 そう、次第にぬくもりを失っていく母のその手を握り締めて。これからの生を、この身の全てをその為に捧げるのだと。
 同じ哀しみが繰り返される事の無い様に。

「エオメル殿、貴方はまだ若い。これから学ぶ事がたくさんあるのだろう。だが、貴方ならそれを乗り越えられる。私が保証するよ。」
「・・・いつの間にか、弱気になっていたようだ・・・そうですね、自分の立場を忘れていたようです。目が覚めました。ありがとうございます、ボロミア殿。」
 そう言ったエオメルの瞳に、再び光が灯る。
その瞳をボロミアは知っていた。かつて自分が、親友が、幼い時の彼が持っていた瞳。その眼には、今 とそうであって欲しい未来が映っている。 
「その意気だ、エオメル殿。ただし、その道は辛く険しい。恐らく、多くの犠牲を払って達せられることだろう。」
「ええ、今すぐ、という訳にはいきませんが、覚悟はしておきます。」
 そうしてボロミアはエオメルの背中をぽんぽんと叩く。不意にエオメルが剣を抜いた。そして柄を握った拳を眉間に持っていく。
「私は誓う、今この時。これから先、この世界に再び平和が訪れるその日の為に、この身を捧げる事を。・・・・ボロミア殿、貴方が立会人ですよ。」
「!・・・わかった。その誓い、私がしかと見届けた。・・互いにがんばろうな。」
「はいっ!」
 そうして2人はがっちりと握手を交わした。
 空高く昇った太陽がそれを見ていた。