ここはゴンドール、ミナス・ティリスの背後にそびえるミンドルルインの山中。 その中腹辺りにある開けた場所に、1人の男がマントを草の上に敷き横になっていた。その傍らには長剣が置かれている。 白い首筋に軽くかかる位の漆黒の髪、それと同じ色の瞳は今ゆるく閉じられており、均整の取れた顔の中の薄い唇はわずかに開き、規則正しく息が漏れ、それと同じリズムで胸が上下していた。そして彼の仕立ての良い服には白い木が描かれており、貴族が着る様なつくりであった。 辺りには人の姿も無く、時折風が木々の葉を揺らす音と小鳥の囀る音、風向きが変わると都からのかすかなざわめきが聞こえてきた。微かだけれど、花の香りも。 「誰だ。」 眠っていると思っていた男がいきなり口を開いた。 だが何の反応も無い。 「先ほどからそこにいるのだろう?わかっている。こそこそせず、出てきたらどうだ?」 尚も姿の見えない相手に話しかける。しばらくすると草むらの影からすっと男が現れ、足音も立てずに歩いてきた。 その男が近づいてくると閉じていた眼を開き、上半身を起こして正体不明の相手を見やる。濃い緑のフードを目深にかぶり、背中には弓と弓筒、腰には長剣を下げている。 「・・・こちらから言わないと何もしないのか?せめて人と話す時はフードを取ったらどうだ?」 「・・・貴殿がそう仰るのであれば。」 そう言うと男はフードを外す。年の頃は20代半ばほどで、日に焼けた肌に少し縮れた黒髪が現れた。長旅で少し疲れている様に見えるが、端整な顔つきをしており、その瞳は深くて蒼く、そして強い と一瞬感じさせた。 「そなたは・・・何故ここにいる。」 多少訝しげに問い尋ねる。 「・・・それは、私の口からは言えません。ただ、貴殿やあの白い都に害なす様な目的ではない事は確かです。」 「・・・どうだかな。北の野伏がわざわざ南まで来る用向きが私には思いつかない。」 それを聞くと男は少し驚いた様だった。 「そなたの口調はこちらの訛りとは少し違う。それにイシリエンの野伏とも、ましてや東夷の者らの格好ではない。それに・・何となく、わかるのだ。私には。」 「御推察の通りにございます。私は、北から参りました。」 「国無き王の住まう地から王無き国に、何の用だ。」 男はその質問にしばし口を閉ざし、下を向く。わずかに苦痛の表情が見えたように思えた。 「・・・貴殿は今でも王を待っておられるか。」 ようやく男が口を開いた。蒼い眼がわずかに開く。 「・・・私が誰か知っての質問か?」 「私の見ます所によると、貴殿は現執政・エクセリオン殿の御子息、デネソール公ではありませんか。」 「・・いかにも。私はエクセリオンの息子、デネソールだ。して、そなたの名は何と言うか。」 「私は・・馳夫といいます。」 デネソールの双眸が鋭く光る。 「違う。それはそなたの名前であってそなたの名ではないだろう。私が聞いているのはそなたの親がそなたに与えた名だ。」 「・・・」 押し黙る馳夫を見ると、デネソールは小さく息をついた。 「・・言いたくなければ言わずともよい。・・・誰だって言いたくない事の一つや二つ、あるものだ。」 その返答に意外そうな眼差しを送る馳夫。やがてその硬い表情が少し緩んだ。 「・・・貴方(あなた)は変わったお人ですね。」 「なぜ、そう思う。」 今度はデネソールの表情が幾分緩む。自らが発した一言がこれまでのどこか緊迫した雰囲気を取り払ってしまった事に気づいていない。 「執政家の嫡男である御方が、この様な素性も目的も、名前すら明かさない野伏にこの様にお声をかけて下さるなんて・・・」 「愚問だな。その前に、座ったらどうだ?見下ろされるのは良い気分がしない。」 「はあ・・、では、失礼して。」 どうも調子が狂う。向こうのペースに乗せられている様な気がする。 馳夫が座ると、デネソールは再び口を開いた。 「私は野伏という者らが世間からどの様に見られているか知っている。だが、我々が彼らにどれだけ多くを頼っているかも知っている。・・彼らは優秀だ。だから北であろうと南であろうと、彼らを差別しようとは思わない。」 自信に満ち溢れた口調で淡々と述べる。 「・・・その様に言われたのは、初めてです。・・・あちらでは私たちの姿を見ると、良い顔をしませんので。」 「言いたい輩には好きに言わせておくがよかろう。しかし、馳夫とやら。そなた、もっと野伏の持つ役割に自信を持った方が良いのではないか?自分で自分をおとしめる様な真似なぞ下らぬ。そうする事で何が得られようか。」 「・・・はあ。その様に言われたのも初めてです。・・やはり貴方は変わったお人だ。」 先ほどから予想外の展開とセリフに きょとん とする馳夫。 「先ほどから私の事を変わってる変わっていると言うが、私から見ればそなたも大分変わっている。」 わずかに口を尖らせ、少しムキになって反論するデネソール。そんな彼を少し子供のような所があるお方だと、馳夫は心の中で呟いた。 「そ、そうでしょうか。どの辺りが変わっていますか。」 「・・・色々あるが、その雰囲気だろう。話し方といい、物腰といい、一介の野伏とは思えない。・・だが余計な詮索はせぬ。今は公務でもないしな。」 「そういえばこんな所で何をなさっていたのですか?従者も連れず、お1人で。」 デネソールはぷいと馳夫から眼を反らし、少しバツの悪そうな表情をしていた。 初めは仏頂面で表情に乏しいお方だと思っていたら、案外そうでもなさそうだ。 「・・・父や家臣たちが五月蝿くてな。たまらず逃げてきた。」 「五月蝿い、と申しますと?」 「・・・そなた、結構遠慮が無いな。」 「失礼しました。」 「構わぬ。」 そう言うとデネソールは数秒間考えて、思い切ったように話を続けた。 「・・五月蝿いのだ。父も家臣たちも。私に、結婚しろと。」 「・・結婚・・」 また随分可愛らしい事で悩んでいたものだ。 「私はまだ25だ。」 「・・早くはないと思いますが。」 「遅い、という訳でもないだろう。それに、どうせ人よりは弱冠長く生きられる身だ。婚期だって遅らせても構わないだろう。」 そういうものかな。私は(できるものなら)今この瞬間にでも結婚したいというのに(無理だけど)。・・・世の中には色んな人がいるものだ。 「・・しかし、女性からしてみればあまり年が離れていると気後れするのではないですか?」 「容姿で私と結婚したいだなどと思うような女性とは結婚するつもりはない。・・・第一、大公達が私に見合いを勧めるのは執政家との繋がりを欲しているからだ・・見え見えなんだ。政略結婚など御免被る。」 だったら尚更早く相手を見つけた方がいいんじゃないか?・・・条件が厳しそうだからすぐには見つからないと思うのだが。 声にすると面倒な事になりそうなので言わないでおいた。 「・・・時期が来ればなるようになるだろう。しかし、その時まで五月蝿く言われるのは耐え難いものがあるが・・・」 「・・いつか、貴方にふさわしい方が現れるといいですね。」 「いつになるのやら。」 ふっ と僅かに口元が緩んだのが見て取れた。 なぜだか見てはいけないものを見てしまった感じがして、嬉しい様な申し訳ない様な気分になる。 「デネソール様。本日は思いもよらず、素晴らしい時間を過ごせました。これもひとえに貴方の大いなるご厚意のおかげと存じます。されど、大分時間が経ちました。私は、もう行かなければなりません。」 「そうか。・・・馳夫よ。」 「はい。」 「今、北の方がどのような状態にあるかは知らぬが、野伏も近衛も兵士や騎馬兵も、どれ一つ欠けてはならぬものだ。上下の差など、本当はあってはならないと思う。だから・・・」 「・・・だから?」 「・・例え他人が何と言おうと、胸を張っているがよい。いつか、いつかわかってもらえる時が来るはずだ。」 揺ぎ無い真っ直ぐな声と強い瞳。上に立つ者の風格と威厳が、年若きこの青年には備わっているように思えた。 私なんかよりよっぽど・・・ふとそんな考えがよぎる。 「・・・デネソール様。 貴方は、良い御方ですね。聡明で、温かい。」 「聡明、というのはどうだろうな。昔教師にこういう事を話したら、それは理想論だと言われたよ。」 「ですが、人は、己の力量を超えたものを目指す事によって、今よりも前へ進めるのではありませんか?」 「!・・そう、かも知れぬな。いや、そうありたいものだ。」 穏やかな表情を浮かべるデネソール。 その表情に馳夫もつられて口元を緩めた。 「デネソール様から賜ったこのお言葉、しかと胸に刻みつけておきます。それでは、ご機嫌よう。貴方と、貴方の愛する方たちに祝福がありますように。」 そう言うと馳夫は背を向け、木々の奥へと向かっていった。 「・・今でも王を待っているかと聞いたな。」 次第に小さくなるその背中に向かって、デネソールは呼びかけた。 「!」 「・・・我ら執政家は幾代にも渡り、この国と、王の椅子を守ってきた。もし、その年月と労力に見合う王がいるのなら。父が、私が、この国の民が頭(こうべ)を垂れるにふさわしい王がいるのなら・・・・!」 どこか苦しげに、そして哀しげに訴えるような声。 今まで心に秘めていても誰にも打ち明ける事の無かった 願い。 どうして、さっき会ったばっかりの人間に話す気になったのか、デネソール自身もわからなかった。 そんなデネソールを見て、一瞬哀しげな顔を見せる馳夫。 「 ・・・アラゴルン。 デネソール様、わたくしはアラゴルンと申します。」 「 アラゴルン・・・」 「縁があったらまたお会いしましょう。」 そう言って弱々しい笑みを浮かべながら、アラゴルンは森の奥へと姿を消していった。 彼が姿を消してからも、デネソールはしばらくその光景を見つめていた。 心の読めない、謎だらけの北の野伏。 彼とはまたどこかで会えるような、そんな漠然とした予感を覚えながら、デネソールはマントと剣を携え、微笑を浮かべて城へと戻って行った。 end |
アトガキ 執政家への愛が、とうとうデネパパにまで行き及んでしまいました!(ボロミアのボの字すら出ていませんね、この話。初ですよ。)映画を見終わってから、こう、ボロミアを始め、執政家が好きだ!!という気持ちがどんどん膨らんでますね。それで原作読んで、追補編はまだですが、こんなSSを。 デネソールの映画での扱われ方にも不満があるせいでしょうか。 ソロンギルが現れるよりも前、という設定です。デネ=25、ゴルン=24。何となく気になるのでちょくちょくゴンドールまで様子見に来ていたゴルン。という事で。 また結婚話です(笑) 長男が乗り越えなければいけない試練ですね(笑) 恋愛ごとに関しては初心(うぶ)な父子だと思っております(その方が可愛いじゃないですか)。ファラミアは別ですけどね〜♪ デネがやたら勘がいいのはその血のおかげという事で。そんでゴルンが結婚してぇ!と思ってるのはもちろん夕星姫です。婚約前ですが、ラブラブだったんじゃないでしょうか? で、ソロンギルが現れた時は、見た目も名前も雰囲気も変わっていたから気がつかなかった、と。・・・・そういう事にして下さい・・・(弱気) そして、果たしてデネはこの時点でアラゴルン、という名前に覚えがあったのでしょうか?イシルディアの末裔だと知ってたのかしら?・・・知らなかった、という事にして下さい・・・(もっと弱気) |