埋めたい空白



 ある午後の検事局。午前中の曇り空から一転、ぽかぽかとほのかに暖かな陽気が 職員達の眠気を増進させている。
 御剣怜侍はご自慢のティーセットで淹れたばかりのセイロンティーをストレートで味わいながら、 殺人事件の書類をカチカチと打ち込んでいた。
 部屋に充満している紅茶の香りに満足しながら、もう一杯楽しもうとポットに手をかけると トントンとノックの音が聞こえる。
「入りたまえ」
 開いたドアから覗いたのは良く知った顔だった。

「信楽さん!?」
「やっほー、レイジくん。来ちゃった♪」
 にかにかと楽しそうに笑みを浮かべて入ってきたのは御剣法律事務所・所長の信楽だった。
「…どうしたんですか?イキナリ尋ねてくるなんて」
「それがね、ちょっとヤボ用があって来たんだけど、ついでにレイジくんの職場も見ていこうかなーって。…仕事中なら帰るよ」
 チラリとPCの方を見ながら言う。
「構いませんよ。丁度お茶にしようと思ってたんです。いかがですか?」
「話がわかるなー、レイジくん。この立ち込める紅茶の香り、いいねぇ。一杯ゴチソウになろうかな」
「適当に座って下さい」
 そう言って御剣は新たにカップを取り出すとお茶の準備を始める。決して器用とは言えないその手が 慣れた様子で紅茶を淹れる姿を信楽は目を細くして眺めていた。
 やがて、澄んだ琥珀色の紅茶を湛えたカップが差し出される。まずは溢れる香ばしい香りを味わってから ひと口喉に流し込む。
「う〜ん、美味しい。レイジくんがこんな美味しい紅茶を淹れられるなんてね。ちょっと意外だったな」
「そうですか?」
 再び紅茶を味わいながら、信楽はカップを手にしたまま部屋の中をきょろきょろと見回した。
 ギッチリと一分の隙間もなく並べられた本やファイル、赤と青の駒が並ぶチェスボード、 大きくて見晴らしの良い窓とそこに並べられた盾や花やフィギュア、ゆったりとしたソファー、 そしてその上で存在感を放っている赤くて煌びやかなスーツ。
 公務員の執務室にはいささか不似合いなその装飾品に信楽は目を留めると、僅かに眉を潜める。

「ねぇ、レイジくん。この服は何?部屋のインテリアにしては変わってるね」
「あぁ、これですか」
 御剣はカップを置くと、懐かしくも苦い想い出の詰まったその服に目を向ける。若かったとは言え、あの服を 着て数年間仕事をしていたのかと思うと、やや心苦しいものがある。
「…あれは、私が一番最初の法廷に立った時、着ていたものです」
「初めての法廷。それってどんな裁判だったの?」
「結果的に言えば、勝ちも負けもしませんでした。…被告人が法廷内で自殺したんです」
 思わぬ言葉に驚く信楽。
「そのニュース、聞いたコトはあったけど、まさかレイジくんが担当してたなんて」
「緊急逮捕からの裁判だったとは言え、被告人の身体検査を十分に行わなかった検察側のミスが招いた事態です。 だから、これは自分自身への戒めなんですよ。あの裁判を忘れない様に」
 それだけではなかった。その裁判で出会った弁護士と罪を逃れた一人の女。その後の人生に大きく関わる 事件だった。込み上げてくる様々な想いと記憶は、今尚鮮明に心に焼き付いている。

「ごめん!レイジくん!」
「…?」

 突然両手を合わせて頭を下げた信楽に、一体何事かと眉をひそめる御剣。
「この派手でヒラヒラの服。どうして狩魔の名残を大事に部屋に飾ってるんだって、ちょっと誤解したみたいでさ。 そんな大事な物だと知らずに…すまなかった」
「顔を上げて下さい。信楽さん。そう思われても仕方ないですから」
「オジサンも、まだまだミジュクだなぁ」
「…信楽さん、ひとつ、お願いがあるのですが」
「何々!?今なら何でも聞いちゃうよ!」
 しおらしい態度が一転していつもの調子に戻った信楽を見て、御剣は僅かに口元を緩める。
「今度、時間を作ってもらえませんか?」
 その意外な申し出に目を丸くする。
「え?何?ソレってデートのお誘い?」
「…そうとってもらっても構いませんよ」
 余裕の表情から放たれた意外な返しに内心驚く信楽。この時ばかりは御剣が何を考えているのか測りかねて、不覚にも幾分動悸が早くなるのを 感じて戸惑っていた。一方、普段掴み所の無い信楽のそんな様子をどことなく察して、御剣は心が僅かに躍るのを感じる。
「話を、聞いてほしいんです」
「話って、何の?」
「信楽さんが不在だった間に、私が経験した事です。あなたが最後に見た私と、今の私とではだいぶ違っているのでしょう?」
「うん」
「色んな事がありました。それを、あなたに知ってほしいんです」
「…」
 それは個人的に、という事なのか、それとも事務所を継ぐ者に対する義務的な報告なのか。
 信楽はそう聞きたい衝動に駆られたがそれをぐっと喉の奥へ押し込む。
 自分はどちらの答えを望んでいるのか、わからなかったから。
 御剣もまた、同じ事を考えていた。個人的に知って欲しいのか、自分の過去を知る者に、あくまでも知識として知って欲しかったのか。 只、今回の様に自分の辿って来た道を知らないが故に新たな誤解が生じるのが嫌だった。だから、知って欲しかったのだ。
 自分がこれまで歩んできた道を。彼がまだ知らない御剣の事を。

「人は簡単には変われないモノだと思っていたけど、レイジくんはオジサンの知らない間に変わったんだね」
「ええ。本当に、色んな事があったんですよ」
 その数年間の空白の時間を、この人にはちゃんと知っていてもらいたい。
 それだけははっきりとしていた。

「わかったよ。今度時間を作るから、是非 聞かせて貰いたいな」
「ありがとうございます」
「…取り急ぎ、ふたつ、教えて欲しい事があるんだけど」
「何ですか?」
 怪訝そうな表情を浮かべる御剣に、信楽はふと窓辺の方を指差す。
「あのトノサマンのフィギュアと、花に付いてるメッセージカードのカオルさんという女性について、是非」
「なっ!!あ、アレはその様なアレとは違う!!」
 急に慌てふためく姿を見ると信楽は満足そうに、そして意地悪く微笑んだ。
「ムカシは特撮とか興味なかったのになー。やっぱり、小さい頃子供らしくなかったぶん、大きくなった今になって…」
「いや、だから、トノサマンは過去に関わった事件の…」
「カオルさんって人も過去の女性なのかな?これは是非とも信さんに報告しないと」
「そっ、ソレは信楽さんが想像している様なモノではないんです!誓って!ゼッタイに!!」
 顔を赤くしながらうろたえる御剣に、信楽は声を出して笑った。少しからかうとムキになって言い訳する その姿が昔の頃と変わっていなかったのが、何だか少し嬉しくてホッとした。
 込み上げる笑いを抑えながら、信楽は ポン と御剣の肩に手をかける。
「まっ、詳しい事は色々ひっくるめて今度オジサンに教えてよ」
「い、いや、その2点に関しては今…!」
「悪いんだけど、オジサン、これから行かなきゃいけない所があるんだ。それじゃ、紅茶ゴチソウサマ!」
 ティーカップを御剣の手に持たせ、ニカっと微笑むと信楽は足早に執務室から去って行った。
 後に残された御剣はカップを手にしたまま立ちすくむとがっくりと頭を垂れる。


「…やっぱり、あの人には敵わない」



                                                おしまい



あとがき
 好きだから、自分の事を知って欲しいと思うんですよねー
 今回はちょっと積極的に信楽さんを誘ってみた御剣。 ちょっとだけ強気な態度にちょっとだけ動揺したので敢えてギャグで逃げてみた信楽。

 本当はもうちょっとシリアスめに終わろうとしたのですが、無理でした。
                                               (11-05-05)