センセイと僕


 綾里千尋、2回目の法廷は、勇盟大学で起こった殺人事件の容疑者の弁護だった。
 そこで千尋は初めて法廷で勝利する事となる。
 しかも、同時に、大事な恋人を意識不明の重体にさせた犯人をも暴いたのだ。
 それは、千尋にとっても、『彼女』にとっても、そして、成歩堂龍一にとっても、忘れがたい・因縁深い出来事であった。最も、彼らがそれを痛切に実感するのは、まだまだ先の話になるのだが。


 この法廷ではちょっとした事件が起きた。
 それは、被告人が証拠品を食べてしまった、という珍事件である。
 しかも、只の証拠品ではない。猛毒を入れていた容器だ。
 判決が下された後、成歩堂はすぐさま近くの病院に運ばれた。それから手続きやら何やらにようやく開放された千尋は、慌てて依頼人の元へ駆けつけたのだった。

「な、なるほどさん!!大丈夫ですか!!」
 バタン!!!
 と大きな音を立てて扉が開く。
 はあはあ、と息を切らせて千尋が現れた。
「あ、センセイ!・・・センセイこそ、大丈夫ですか?」
 先ほどまで法廷に立っていた姿とのギャップに驚く。
 髪は乱れているし、その上ハダシで両手に白いヒールを掴んでいる。
「それはコッチのセリフです!大丈夫なの?毒は?オナカ、痛くない?」
 ペタペタと裸足のままベッドの側にやってくる。
「ええ。さっきお腹の中を洗浄してもらいました。血液検査もしたけれど、異常は無いようです。」
「で、でも、ガラスを食べちゃったのよ?その、破片とかでお腹が傷ついたりしてるんじゃないの?」
「ちょっと傷ついてるかもしれないみたいです。だから少し入院して様子を見るそうです。」
「そう…」
 深く息を吐くと、千尋はがっくりとうなだれる。そして、そのままそこにあった椅子に腰掛けた。
「センセイには御迷惑をおかけしました。でも、おかげで無罪になったし、こうして無事でいるし…」
 にこにこと笑う成歩堂。
「なるほどくん!!」
「え?」

 バシンッ

 両の頬を挟むようにはたかれた。
 一瞬頭が真っ白になる。
 何がどうなってるのかわからず、目をまん丸にして千尋を見つめる成歩堂。
 すぐにじわっと頬に痛みがにじんできた。

「な・・」
「なるほどくん!アナタ、自分が何をしたかわかってるの!?」
 正面からがっちりと肩を掴まれる。
「あ、その・・・」
 その鬼気迫る迫力に圧倒され、何も言えない。
 間近に迫る千尋の顔。
 普段のにこやかな顔ならともかく、眉を吊り上げて双眸に怒りを湛え、加えて得体の知れない気迫が加わっている。
 成歩堂の背筋が震えた。
「毒よ、猛毒よ!種類によっては1ミリグラムに満たない量でも死に至るのよ!いくら半年前のモノだからと言って、それがカラだからといって、毒性が無くなっているとは限らないのよ!!死ぬかもしれなかったのよ!それをわかっててあんな真似したの!?よりによって・・法廷で。アナタ、法廷をなんだと思ってるの!?私は、なるほどくんの事信じてた、だから、法廷に立ったのに。なのに、アナタは、アナタは・・・…」
 終わりの方は、次第に声が小さくなっていった。いつの間にか、瞳は潤んでいる。
 肩を掴んでいる手から、力が抜けていくのがわかった。

 審理中は常に気を張っていたし、無実の証拠と証言の矛盾を探す事で頭が一杯だった。だが、こうして無罪を勝ち取り、次第に他の事を考える余裕が出てきたのだ。

 審理中、被告人でありながら、自分の無実を証明する為の証拠品、猛毒の入っていたガラスの小ビンを食べてしまった自分の依頼人。
 自分は誠心誠意、一生懸命弁護したのに。1年前のあの事件からようやく立ち直ったのに。あの女から彼を救おうと必死だったのに。なのに、なのに。
 この目の前の、お人よしな依頼人はとんでもない危険を犯した。ある意味、弁護士を裏切る様な行為だった。
 また、自分の弁護する人間が、命を落とすのかと、思った。
 また、あの毒が自分の大切な人を奪うのかと、思った。
 また、あんな思いをするのかと、恐ろしくなった。

「千尋さん、ごめんなさい!」
 じんじんする頬と、自分に向けられた言葉と、何よりもその潤んだ瞳を目の当たりにし、突如罪悪感が襲ってくる。
 ボクは、この人を、こんなに怒らせる様な事をしてしまったんだ。
 ボクを信じて、助けてくれたこの人を。
 ボクの為に、こんなに必死になってくれたこの人を。
「ごめんなさい!本当に、ごめんなさい!!ご、ゴメンなさわあああああああんんん!!!」
「な、なるほどさん?」
「わあああああん!ごめ、ご、ごめんなさわあああん!!」
「あ、その、ごめんなさい、なるほどくん、私、ちょっとコーフンして、強く言い過ぎちゃった。」
「わあああああん!!」
「だから、もう、泣かないで。ホラ、男の子がそんなカンタンに泣いちゃダメよ。」
 そう言って右手で成歩堂の頭をなでながら、左手でハンカチを取り出すと涙を拭う。
 まるで、母子の様な光景だ。


「ッっく。ごめんなさい、センセイ。」
「もういいのよ、なるほどさん。こうしてアナタは無事だったんだし。」
「・・・あの、センセイ。」
「何かしら?」
「その、何で、ハダシなんですか?」
「ああ、コレ。裁判所から走ってきたのよ。靴は、ヒールが邪魔だったから脱いじゃった。」
「え!裁判所から、ココまで!?」
「こう見えて、体力はある方なのよ。鍛えてるの、ムカシから。」
「その、ボクの為に?」
「そうよ。だって、心配だったから。」
「・・・すみません。心配かけて。」
「なるほどくん、日本語、間違ってるわよ。」
「え?」
「こういう時は、”ありがとう”って、言うモノでしょ?」
 ニッコリと微笑む。
 その笑顔のせいだろうか、頬がさらにじんじんと疼いた気がした。
「…千尋さん、心配してくれて、ありがとう。」
「どういたしまして。」

−プルルルル プルルルル−

「あ、チョットごめんなさいね。・・・ハイ、千尋です。あ、センセイ。ハイ、ハイ。わかりました。すぐ行きます。」
「帰るんですか?」
「ええ。まだもう少し手続きが残ってるのよ。」
 そう言うと、千尋は靴を履く。 
「あ、あの。また、来てくれますか?」
「もちろん、またお見舞いに来るわ。それじゃ、お大事にね、なるほどさん。」
「待って、センセイ!」
 扉に手を掛けた千尋を呼び止める。
「えっと、『なるほどくん』でいいです!ボクの事。何か、ソッチの方が語呂がいいというか何というか。」
「・・・わかったわ、なるほどくん。じゃあ、私も『千尋さん』でいいわ。まだ『センセイ』って柄じゃないし。」
「うん、わかった。じゃあ、千尋さん、さようなら。気をつけて帰って下さいね。」
「また明日お見舞いに来るわ。それじゃあね、なるほどくん。」
 笑顔を残したまま、千尋は帰っていった。


 今日は色んな事があった。トンでもない、一日だった。
 ショックも受けた。今だって、信じられない位だ。
 でも、そんな一日の最後に、あの人と話せてよかった。
 あの人が弁護してくれて、良かった。
 いつか、ボクもあんな風になれたら。…なれるかな。いや、

   ならなくちゃ、いけないんだ。

 ごろん、と横になる。白い天井を見ながら、両手で頬を押さえた。
 まだ、少し痛い。
 でも、あたたかかった。


                                                                 END



あとがき
 コレ。コレが一番書きたかったお話です。
 千尋さん、未来の弟子を救う!!
 恋人である神乃木を半死に追いやった、あの女のあの毒で再び人が死ぬ事になったら。しかもそれが自分の依頼人だったら。1年前と同じ結末になってしまったら・・・
 そんな事になったりしたら、今度こそ本当に立ち直れませんよ。
 だから、すっごくすっごく、心配したと思うんですよ。

 まあ、ナルホドくんも恋人に裏切られて、殺されそうになった事が判明して、彼も彼なりにショックだったのでしょうが、この時点での千尋さんはまだちょっとウッカリさんなので、そこまで気が回らなかったのでしょう。

 で、千尋さんいつ頃から独立したのかなあ。この年かな。いや、でもある程度実績を積まないと、事務所開くのも大変だろうしなア。
 恐らくさらに半年〜一年後、位かな。その間、ナルホド君は大学通いながら千尋さんに弁護士になる為の勉強を教えてもらったりして。・・・図書館とか、大学のゼミ室とかで。で、卒業&事務所開設(1人で切り盛りするのは大変だから、ナルホドくんが卒業するまで待ってたんすよ)と共に、住み込みで働くようになったんですよ、きっと。居候してた、って言ってたし。で、1,2年後には自分のアパートを借りる位のヨユーができた。そう見たね、アタイ。

 ちなみに、「なるほどさん」と「なるほどくん」、「センセイ」と「千尋さん」は使い分けています。
 なるほどくん・千尋さん、は、大事な時やイッパイイッパイな時に無意識に呼んでいます。

 ああ、楽しい。
 こんな感じでもうちっと逆裁SS書こうっとw
 あえてミツチヒと同じセリフを言わせたりしましたw”ありがとう”のトコロです。
 割とシリアスな感じのお話が続いたので、今度はコラム辺りを真似たギャグっぽい会話式SSを書きたいな!!


060615