ステルス・ハート


 ある初夏の夜、就業時間もとうに過ぎた検事局に一本の電話が鳴り響く。
 丁度その頃、残業で執務室に残っていた狩魔検事が帰り支度を済ませて部屋を出ようとした正にその時、 電話の内線音が鳴った。
「…狩魔だ」
 僅かに眉間にヒビを浮かべながら電話に出た狩魔検事だが、次第にそのヒビを深くさせながら受話器越しの 上司の声に耳を傾ける。やがて電話を切ると急ぎ足で部屋を後にした。



 一方、こちらは郊外某所の山中。普段は初心者向けのハイキングコースで老若男女が出入りする小さな山だが、 今は多くのパトカーやワゴン車が並び、制服やスーツ姿の警察官たちで溢れていた。赤ランプと現場を照らす為の ライトが暗い夜の闇を慌しく照らしている。
 そんな光と喧騒の中に巌徒刑事は身を置いていた。いつも明るくて朗らかな巌徒であるが、 今は拳を固く握り締め、眉間に皺を寄せながらその様子を見つめている。
「…」
 今にも一雨降りそうなじめりとしたこの夜。ハイキングコースの小路から少し外れた木の陰から、 ゴミ袋に包まれたバラバラの遺体が発見されたと連絡が入った。
 服装や名札から、それは数日前から迷子として捜索願が届けられていた小学生だと判明した。
 その現場は凄惨なものだった。不揃いに切断された女児の血まみれの四肢と頭部は、数日間湿度が高かった為に 幾分腐敗が進んでおり、血と腐臭とが入り混じった臭いが袋から溢れていた。
 肺が毒されてしまいそうな臭いと血まみれの幼い遺体を前に、数人の捜査官が嗚咽を漏らしながら口や顔を押さえて 林の影に消える。
 そんな仲間達を無言で送るのは、長年の経験を積んだベテランの捜査官達だった。彼らの目は多くを語らない。
 若い巌徒刑事もしばらくは耐えていたが、現場検証の為に鑑識官達が動き始めると、とうとう耐え切れずにその場を駆け出した。

「…っ」
 込み上げてきた物を全て吐き出すと、幾分胸のむかつきが和らぐ。だが、気分も気持ちもまったく晴れなかった。
 小さなもみじの様な手のひら。自分の半分にも満たない細く白い腕や足。まだ新しい花柄の靴。
 怒りや憤りや理不尽さ、自分の情けなさや無力さなど様々な感情が身を包み、ぐるぐると頭を駆け巡る。腹立ち紛れに 思い切り木の幹に拳を叩きつけると、痛みと痺れが身体に伝わり、それでようやく自分の感覚がちゃんと 機能しているのだとわかる事ができた。
 頭を上げると、しとしとと霧の様な細い雨が降ってきた。正に泣きっ面に蜂だと巌徒は自嘲気味な笑みを浮かべる。
 ふと、草木の揺れる音と同時に誰かがやってきた。

「…豪ちゃん」
「…」
 狩魔検事はいつもよりも深い皺を眉間にたたえ、巌徒に一瞥をくれる。
「…そんな情けない顔で現場に立つつもりか?」
 そう言ってハンカチを差し出す。友人の意外な行動に目を丸くしながら、巌徒はそれを受け取った。

「…情けない所、見られちゃったなぁ」
「マッタクだ」
「豪ちゃんが担当するの?この事件」
「その様だ」
 いつもと変わらない様子の狩魔検事だが、巌徒がふと視線を落とすと、腕を組んでいる友人の手が 袖をギュっと握りしめているのに気が付く。本人が知っているのかはわからないが、巌徒はその クセに見覚えがあった。裁判で状況が不利になるとよくやっている行為。感情を抑えている時のクセだった。
「豪ちゃん。現場は…?」
 ぴくりと眉が動く。
「見た。現場も見ずに捜査が行えるか」
 ぎゅっと更に強く袖を握る。彼も必死に耐えているのだ。

「…巌徒」
「何?」
「いつも通り、捜査を行え」
「いつも通り?」
「余計な感情は捜査の妨げになる。だから、いつも通り、捜査を行え」
「豪ちゃん?」
 友人の言葉の意図がわからず視線を向ける。
「いつも通り捜査を行い、いつも通り犯人を逮捕しろ。そうすれば、いつも通り ワガハイがカンペキな有罪判決をくれてやる」
 その時、僅かな雲間から月の光が漏れ、狩魔検事の横顔を照らした。
 普段から白い顔が、夜の闇と合いまって、一層青白く映る。僅かに水を滴らせたその顔はひどく恐ろしく、 そして美しかった。
 同時にその言葉で胸の奥に温度が戻ってきたのを感じた。
 安心感にも似たその感情が全身を巡り、ざわめいていた心が不思議と落ち着いてくる。

 大丈夫、今回も上手く行く。

「…わかったよ、狩魔検事」
「…それでいい」

 巌徒は両手で自分の顔を挟む様にぴしゃりと叩くと、再び現場へ戻って行った。
 その瞳には生気と強い意志が戻っている。
 そんな友人の背中を見送ると、狩魔は僅かに口の端を上げ、自身も再び現場へと足を向けた。




 それから数週間後。
 世間を騒がせたバラバラ殺人事件の犯人が逮捕送検された。
 捜査班の迅速で正確な捜査が身を結んだものであり、マスコミも世間もそれを賞賛している。
 裁判の日取りも決まったある日、喪服をまとった狩魔検事は墓地を訪れていた。 事件の被害者となった少女の墓である。真新しい卒塔婆と、花や線香やお菓子が沢山供えられた 墓前にそっと何かを置く。
「何お供えしたの?」
「ム。お前らも来たのか」
「一人で行くなんて水くさいよ、豪くん」
 同じく喪服に身を包み、花や水桶を携えた巌徒と一柳がやって来た。
 話もそこそこに線香をあげ、手を合わせる。

「…キーホルダー?」
 先ほど狩魔が供えた物を見て、一柳が尋ねた。
「ソレ、あの子の遺影に一緒に写ってたぬいぐるみと同じヤツだよね」
「たまたま見かけたのだ」
 説得力の無い嘘に二人は苦笑を浮かべる。
 晴れた空の下、どこからともなく小鳥のさえずりが聞こえている。
「…四九日に間に合ってヨカッタよ」
「皆、物凄くがんばってたもんね」
「万ちゃんも色々手伝ってくれたじゃない。自分の仕事もあったのに。ホント、ありがとね」
「二人に比べたらどうって事無いよ」
「…いつも通り仕事をしたまでだ。常日頃言っているだろう、狩魔は」
「「カンペキを持ってヨシとする」」
「…人のセリフを盗るな」
 今度は三人揃って僅かに笑いを零す。

「ボク達はカンペキに捜査をした。後はまかせたよ、狩魔検事」
「誰に向かって物を言っている」
「僕もサポートがんばるからね」
「当然だ。コキ使ってやる」

 必ず犯人に報いを受けさせる。

 そう墓前に向かって誓うと、三人は墓を後にした。


                                                                 おわり



あとがき
98765hit記念リクの『若い頃の狩魔検事がメインの話』です。シリアスめのお話との事だったので 今回この様に仕上げてみました。いかがでしたでしょうか?

 悲惨な事件に当たって戸惑う巌徒を、自分もショック受けてるのに励ましている狩魔豪。 平然そうに見えますが、巌徒に会う前に自分も一通り戻したり打ちひしがれたりしてます。
 ゲームの中だと検事は一人で法廷に立っていますが、以前見た本物の裁判では、検事さんも 二人とか居るのを見た事があるので、今回は一柳がサポートとして法廷に立つ、みたいな感じにしています。
(11_07_02)