緑深い、初夏の風が吹くある日の午後。 ファラミアは久しぶりにあの秘密の場所に来ていた。昔はよくここに来ていたのだが、成長していくに連れ、ここには滅多に来なくなっていた。それでも、1人になりたい時に、彼はよくここを訪れていた。 すっかり成人し、ひょろりと伸びた長身にその場所は狭いように見える。石壁に背をもたれ、そのひんやりとした感触を受けながら空を眺める。 そうしてどれ位経っただろう。 「ファラミア。」 不意の声にはっとする。 「兄上。」 「やっぱりここか。」 よいしょ、とボロミアは上って来て、隣に座る。今やさほど背丈の変わらない兄弟がこうして並ぶと、いよいよこの場所も狭くなってくる。 「部屋にも書庫にもいなかったからな。もしかしたらここかと思って。」 今や国政にたずさわる仕事もこなさなければならくなった兄弟は、何日かぶりに顔を合わせた。 「こんなに良い天気なのに、部屋にこもるのはもったいないと思いまして。」 涼しい風が吹き、兄弟の髪を揺らす。 「確かにそうだな。」 「兄上、」 「ん?」 「覚えてますか?小さい頃よくここに来ていた事。」 「ああ、もちろん。ここは我らの秘密の隠れ家だった。」 微笑をこぼしながら懐かしそうに、そして嬉しそうにボロミアは言った。 「いつだったか、・・そう、あれは私が7歳の頃、ここで泣いていた事は?」 横目で見てみると、兄は思い出そうとして宙をにらんでいる。 「あ、ああ!覚えている。お前がかくれんぼの最中に抜け出して。」 「ふふ、覚えてましたか。」 「ああ、ちゃんと覚えている。」 「ちょっと気になったのですが・・・」 そう言うとファラミアは体ごとボロミアの方を向いた。 「その、私が言うのも何ですが、あの時兄上は泣きじゃくる私をあやしてくれました。しかし、男兄弟にしては随分甘い事をされたのではないかと。」 「えっ、・・・そ、そうか?」 少しうろたえた様子のボロミア。そんな様子を意ともせず、ファラミアは詰め寄る。 「そうですよ。だってあの時、兄上は私の頭と額とまぶたに口づけをなされた。」 「く、口づけ・・まぶたと額って、お前眠ってたんじゃ・・?」 「屋根から部屋に入る時のショックで起きてました。多分部屋まで運んでくれるのだろうと思ってましたし、実際まどろんでましたからね。そしたらまぶたと、ベッドに横になってから額に、」 チュっ とね、と唇を鳴らし、イタズラっ子の様に微笑んだ。ふたつのグリーン・アイが困った様に宙を泳いでるのが面白かった。 「あ、あれは、ちゃんと理由があって、だな。」 「理由?」 「ああ、その、母上が。」 「!」 「私が幼い頃、母上がよくしてくれたのだ。泣いたりした時にはまぶたに。私をひざに乗せ、あやしながら。そして寝る前にも、・・よくしてくれたから。 母上にそうしてもらうと嬉しくて、心が落ち着いた。だからお前にも・・。」 まだ12歳だったこの兄ががんばって母の代わりをしてくれていたのかと思うと、嬉しい反面、どこ かおかしくもあった。 「・・・ありがとうございます。 ボロミア・・・」 そう静かに言うと、すとんと兄の肩に頭をのせる。ボロミアは笑みを浮かべて、弟の頭をいつかの様に優しくなでた。 すると、ファラミアは不意に顔を上げ、にやっ と不適に笑うと、素早く体を動かし兄の胸に背を向けるように滑り込んだ。 「!フ、ファラミア?」 とがめるような兄の声をさえぎるように切り返す。 「 『やっぱり詩の暗誦はイヤだなァ』 」 「あ!お、お前、聞いてたのか?」 してやったり顔のファラミアと失敗を見破られたようにバツの悪そうなボロミア。少し顔が赤い。 兄の胸にゆったりと身を沈め、下からその困った顔を見上げながら、下に垂れている蜂蜜色の髪を弄ぶ。 「まったく、お前は・・・」 とは言いながらもどこか嬉しそうに、ボロミアは右手で弟の額をなで、左手でそっと、すっかり大きく成長した弟を抱きしめる。ファラミアは空いてる手をそっと重ねた。 「・・やっぱりここが一番落ち着く・・・。」 「? 何か言ったか?」 「いいえ、何も。」 気持ち良さそうに目を細める。久しぶりの兄の腕の中。この時がずっと続けばいいのに。 「・・兄上、」 「何だ?」 「大好きです。ボロミア。」 「私もだよ、ファラミア。」 2人は目を合わせると声を出して笑った。 風が2人の笑い声を空へ 運んでいく。 おしまい |