そら に近づく


 そよそよと風が吹く夕暮れ。紅い太陽がまだ空に丸く浮かんでいる。

 裂け谷の高台にある東屋で、フロドは1人―彼が1人でいるのは珍しい事だが―ぼんやりと空を眺めていた。

 今日はエルロンドの館で会議があった。あの指輪をどうするか。
 わかっていた。 あの日、ガンダルフから指輪を預かったあの日。何となく予想はしていた。
 自分が、この指輪をかの地へ―
 それが自分の運命なのだ、と。 その運命に同郷の仲間達が付いてきてくれた事。ガンダルフを初め、あらゆる種族のたのもしい人たちが同行してくれる事。それがせめてものなぐさめだった。
 友人たちに、新たな仲間達に、申し訳ないのと、それでもありがたい気持ちとが同時に起こる。

 出発まで2,3日かかるというので、フロドは特に準備するというわけでもなく、(荷造りはサムがやってくれてるので)このつかの間の安らぎを、まるで絵のように美しいこの土地を楽しむ事にした。
 ぷかぷかとパイプ草をくゆらせ、空を見ながら、何も考えないようにフロドはその時間を楽しんでいた。

 丁度その頃、フロドのいる東屋の方へ向かって歩く者があった。
 その人物はきょろきょろと辺りを見渡しながら歩を進める。道に迷ったのか散歩中なのか、どちらにしろ土地の者ではないようだ。
 その足音に気がついてフロドははっとして振り向く。すると蜂蜜色の髪がひょっこりと飛び出した。ホビットのくせのある髪ではなく、さらっとした髪であった。
「・・・!」
 顔が見えた。覚えのある顔だ。さっきの会議に出席していた。人の、ゴンドールという国から来た人だ。ボロミア、そういう名だった。
 あの指輪を授かり物だと言った人だ。
 向こうもこちらに気づき、早足で近づく。わけもなく緊張が走る。

「フロド殿。」
 軽く手を上げ、彼は東屋の方にやって来た。
「こちらで何を?」
「・・ちょっと景色を見てました。あなたは?」
「私は散歩をしてました。そしたらあなたの姿があったので。・・少しお話してもよろしいですか?」
 そう言うとベンチを指差す。
「あ、ハイ、もちろん。」
 先客の了解を得て、ボロミアは腰掛ける。そして少しの間視線を泳がせていたが、やがて意を決した様にフロドのほうを向き、少し開いたひざの上で拳を強く握ると、彼は深々と頭を下げた。
「申し訳ないっ!!フロド殿!!」
「!!??」

 驚いたのはフロドであった。
 立っていても座っていても自分より遥かに大きいこの人が、ゴンドールの代表で来たこの人が、自分に頭を下げているのだ。
「え?あ、あの、ボロミアさん?・・どうしたんですか?一体・・。」
 ゆっくりと顔を上げるボロミアはそれでもまだ何か申し訳ない様にしていた。
「その、先ほどの会議の事だが、私は随分みっともない真似をしてしまったと・・。本当にあの時はどうかしていた・・それで一言あなたに謝りたくて・・」
 照れくさそうに、言葉を捜しながら話すこの大きい人を、なぜかかわいい、と思ってしまった。思わずぷっ と笑いがこぼれる。
「フ、フロド殿?」
「あ、ああ、すみません。その、あなたの様な大きい方でもこんな風にうろたえることがあるなんて思ってもみなかったので、つい。」
 こほん、と冷静になるためにボロミアは咳払いをした。
「あなた方が我ら大きい人をどう思っているかわかりませんが、我々も友情を大切にし、義に厚く、礼と誇りを忘れない種族なのです。」
 胸に右手を添え、軽く微笑する。
「ボロミアさんは、エライ人なんですか?」
「ええと・・まあ、それなりに。今は執政である父を助け、兵を率いたりしています。ところで、フロド殿、あなたがこちらに来る際に、ひどい怪我を負われたと聞いたのですが、もう大丈夫なのですか?」
「ハイ、すっかり良くなりました。あの、ボロミアさん、もしあなたがよければ、こういう堅苦しい話し方はやめてもいいですか?こういう話し方は正直苦手で・・」

 初めに抱いていた猜疑心は消えていた。いつの間にか思っていた『大きい人』のイメージと目の前のこの人はだいぶ違っていたから。
 自分に対して深々と頭を下げたゴンドールの偉い人。 の割には偉ぶった感じは無く、どこか庶民じみた、親しげなふるまい。フロドはこの大きな人に興味を覚えた。

「それはこちらも願ったりだ。正直私も礼儀作法や言葉遣いというのは苦手でしてな。」
「じゃ、改めましてよろしく、ボロミアさん。」
 すっと小さな手が差し出される。
「こちらこそよろしく、フロド。」
 その倍以上もある大きな手を差し出し、2人は握手を交わした。
 そして2人はしばしの間、情報交換をした。主に互いの種族の事を。
 ホビットは人の事を、人はホビットの事を知る事ができたのだ。
「・・あなたの言うシャイアとは、まるで楽園のような場所ですなぁ。何もかもが済んだらぜひ行ってみたい。良いかな?フロド。」
「もちろん!村中みんなで歓迎するよ。その代わり、僕もゴンドールに連れて行って下さいよ。」
「ああ、約束しよう。ミナス・ティリスはこことは違った美しさがある。」
 そう言ってボロミアは立ち上がり、東屋から裂け谷を見渡した。

 外は夕日が半分ほど顔を隠しており、辺りは一面夕焼け色に染まっている。
「うわあ・・・」
 フロドもボロミアの隣に立ち、夕焼けに驚いていた。
 辺りは一面の紅だが、その遥か上の空はすでに濃紺・藍色の入り混じった、透明感のある澄んだ夜の空だった。
 くいくい。
 フロドがボロミアの服のすそを引っ張る。隣を見下ろすと、2つの青い大きな瞳がこちらを見上げていた。少し恥ずかしそうに小さな友人は話す。

「あの、ボロミアさん、ちょっと、お願いがあるんだけど・・・」
「ん?何ですかな?」
 すっとかがんで、視線をフロドに合わせて聞き返す。
「あー、ちょっと言いにくいんだけど・・」
「フロド、あなたは遠慮なんかしちゃあいけないよ。私にできる事なら何なりと。」
 そう言って優しくほほえみかける。
 その笑顔になぜか心がほっとする。
「肩ぐるま、してほしいんだけど・・」
「肩ぐるま。」
「そっ、その、大きな人たちが普段どんなところからものを見ているのか知りたいんです。今、この空を見たら急にそう思って・・」
「もちろん、おやすい御用だ。」
 そう言うとボロミアはフロドをひょいと抱え、くるっと向きを変える。そしてその両腕を空へ向かって伸ばした。

 いきなり、世界が開けた。
 いつもより高く、広い景色。
 こんなにも違うのだ。

 すとん、ボロミアがフロドを肩に乗せる。
 フロドは蜂蜜色の頭に手をのせる。
 もう一度辺りの景色を見渡し、次に空を見上げた。
 迫ってくる 青、 蒼、 あお。
 一瞬、自分が水の底にいるのではないかと思った。

「どうかな?フロド。」
 声をかけられて我に返る。
「そらに、 少し近づいた気がした・・・すごいな。今ちょっと人間がうらやましいと思ったよ。」
 そうして視線を下ろすと、日がもう少しで沈むのが目に入った。
 ふと手元を見ると、そこには別の太陽があった。

「ボロミアさん、」
「ん?何かな?」
「ボロミアさんの髪の色って、おひさまみたいですね。」
「えっ?」
 そう言ってフロドはさらさらとした髪をつかんだりすいたりした。

 夜のとばりと輝くおひさま。
 少し上の世界にはこんな発見もあるのだ。フロドは嬉しくなって笑った。
 ほんの少しの間にたくさんの新しいものを得た。

「喜んでもらえて私も嬉しいよ。」
 そう言ってボロミアは歩き出した。フロドは再び人の視点を楽しむ。
 東屋を抜けて、しばらくその辺を歩き回っていると、遠くの方からフロドを呼ぶ声がした。彼の友人のホビットたちだ。
「フロドさま〜!」
 サムに、
「あ、フロド、何やってんだよ!」
メリーに、
「いいなあ、次僕ね!」
 ピピン。
 3人が駆け寄ってきた。
「あっ、ボロミアさんっ、走って!逃げて!」
「え、ええ?」
 訳もわからず、とりあえずボロミアはフロドの足をしっかりと抱え、走り出した。
「ど、どーして、逃げる、ん、だ?」
「いいから、つかまっちゃダメですよ。」
 笑いながらボロミアの頭にしがみつく。
 ふわっと おひさまのにおい。
「こらー!フロド!逃げるなー!」

 もうちょっとだけ。
 もうちょっとだけ、この景色とおひさまをひとり占めしていたい。

「これ位してもらったってバチは当たらないでしょ。ね、ボロミアさん!」
「あ、ああ、そうだな。」
 よく意味はわからないが、賛成しておいた。

 会議で見た時のこの小さな人は、ひどく疲れたような、沈んだ顔をしていた。
 なのに今はすごく、楽しそうに笑っている。
 彼が愉快でいてくれるなら、気の済むまで付き合おう。

 大きな体に、小さな人をのせて、えっちらおっちら駆けていく。その後ろを追いかける3人のホビットたち。
 誰かがこの光景を見たら首をかしげるに違いない。

「ほら!ボロミアさんっ、あっち!!」
「あ、は、はいっ!」

 もうしばらく、この追跡劇は続きそうだ。


                              END





Atogaki  はい、フロ&ボロです。いやー、映画のフロドって、モロ、ボロミアを疑ってる様に見えたんです。あの怯えたような疑ったような眼差し。あれじゃあ、ボロたんがかわいそう!
 だからせめてココでは仲良さげにしてみました。ほのぼの。パパボロ、子ビッツ。きっとファラミアにもそうしていたに違いネェ!
 ホビッツはですねえ、本当は陽気で明るい種族なんだと思うのですよ。映画中は話が話だからすっかりシリアスですが。だからフロドだって本当はお茶目さんのイタズラっ子に違いない!んで、好奇心旺盛で、こういうこともするに違いない!
 これを書く時、話口調をどうするか悩みました。映画も原作もあんまカラミないですし。でも何となく「ボロミアさん」という呼び名がしっくり来ると思います。話し方もくだけすぎず、堅苦しすぎず、対等に接してるってかんじにしました。それと気をつけてることは、セリフ中に良く見られる「・・・」私多用してますが、丸の数とかもいくつつけようか悩んでおります。
それと漢字も。当て字だったり、わざと漢字にしなかったり。キャラや状況によって変えてます。今回ならお日様ってところをおひさまと全部ひらがなにしてみたり。ひらがなの方が暖かい感じがしませんか?
 しかし、それはそうと、ホビッツって、ああみえてもピピン以外は成人してるんでしたっけ?でもどうしても子供のように書いて・描いてしまう・・。ま、いっか。フィーリングも大事っすよ!
 それでわ!!